梅木志保さんは長崎県新上五島町出身。大学を卒業後に英語教諭としてUターン。五島市の方と結婚し五島市在住。長女が病気になり、教員を退職。幸いお子さんは快方に向かい、市役所嘱託職員として教育委員会指導主事として入り、その後、観光課で国際トライアスロン外国人担当として勤務し、観光に関わるようになった。その後2010年に観光ガイド業を立ち上げたとのことです。五島三国観光株式会社三国ホテル支配人、また長崎県観光審議員としても活躍中です。梅木さんが企画した世界遺産をめぐるモニターツアーに参加させていただきました。観光協会が開催するツアーでは市町村域を超えられない場合が多いのですが、さすが民間企業。新上五島町にあるキリシタン洞窟まで足を延ばし、さらに見どころの多いツアーを3時間でまとめたのはさすがとしか言いようがありません。五島市民もたくさん参加され、江上教会でアベマリアをうたってくれたのには感動しました。梅木さん素敵な旅をありがとうございました。梅木さんから寄稿いただきました。(斉藤)
世界に類をみない歴史を調べていくと
250年間もの間神父がいない間、口から口に祈りをつたえ、7代にわたってキリスト教を伝えていった。キリシタンであることをカムフラージュするために観音様に赤ちゃんをだっこさせてマリア様に見立てたり、観音様が手に入らない人は木造の人形の首にまたは頭に十字架をほりマリア様として祈ってきたのだ。各村に帳方、水方、取次役という三役をおいて帳方の家は7代にわたって神父の役を務めあげた。
この史実をしって実際にガイドとして案内していくうちにまた困難の中なぜくじけなかったのか、7代待てば神父が来るというその予言を信じるだけで7代つたえることができたのだろうかと考えるようになった。家族の伝統だからといってそう簡単に7代もつなげることができるかと疑問があった。
そう考える中で私自身が元仏教徒だった経験から納得いく部分がでてきた。それは私の嫁ぎ先が敬虔なクリスチャンでそこに嫁ぎ洗礼をうけて形からクリスチャンになった、嫁として教会にいかないわけにいかず教会で手を合わせ神父様の説教を聞いているうちに内的変化がおこり、自分にしかわからない変容があり神の存在を感じてはじめて信仰へとつながっていった、この経験こそが潜伏キリシタンにも同じことがおこり7代につたえていく原動力になったのではないかと実感している。
久賀島旧五輪教会堂(五島市)
久賀島旧五輪教会堂にて(五島市)
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
実際に教会巡礼はカトリック信者さんだけではなく一般の観光客でも教会をいくつも案内している。訪れて手を合わせているうちに癒されていく人、また告白を始める人、涙を流す人を見てきた。やはり教会は癒しの場であり神様の存在を感じる場所ということをお客様を通して実感している。この五島の250年の歴史が世界遺産になったことは「信仰とは何か」とか「神様とは」・・など考えるチャンスをいただいているのではないかと考えている。
夫の曾祖母がマルマン神父様と孤児院を立ち上げて間引きされる子供達を助けたという濃厚な歴史がある梅木家の嫁としてこの五島のカトリックの歴史を胸を張ってたくさんの人につたえていくことが使命だと勝手に思い込んで明日もがんばるのみであります。
教会内でアベマリアを歌った、奈留島江上教会(五島市)
マリア様に見えるハリのメンド(新上五島町)
キリシタン洞窟(新上五島町)
若松島の里ノ浦のキリシタンは、明治初めの五島崩れの際、迫害を避けて船でしか行けない険しい断崖の洞窟に隠れたが、焚き火の煙を船に見つけられて捕縛され拷問を受けた。 この洞窟は後にキリシタンワンドとよばれ、1967年入口に十字架と3mのキリスト像が設けられた。
writer : 五島三国観光 福江教会信徒 ベルナデッタ 梅木志保