教会守という立場から久賀島の活気づくりに貢献したい。

旧五輪教会堂の教会守の永松翼さん

NPO法人世界遺産長崎チャーチトラスト旧五輪教会堂教会守の永松翼さんから寄稿いただきました。若い人たちが久賀島を支える姿に感謝します。

観光地理学を専攻

出身は福岡県ですが、五島列島や久賀島の存在を知ったのは大学進学を目的として上京した後のことでした。大学生の時は観光地理学という分野を専攻しており、その中で最も興味を持ったのが当時世界文化遺産への登録を目指していた長崎各地の教会群です。最初は論文を書くための現地調査という目的で五島列島に訪れたのですが、五島におけるキリスト教の歴史が大変興味深いものだったので、東京に戻って関連文書をいくつか読んだのを覚えています。その中で旧五輪教会堂がある久賀島の存在も知ることとなりました。

旧五輪教会

五島への移住を決意

大学を卒業後は、一旦は航空関係の企業に就職したのですが、久賀島含め五島列島には年1回ペースで訪問し続け、知見を広げていきました。島民の人柄や自然景観も気に入るところがあったのに加え、「GOTOIST」という五島市公認アンバサダーを務めさせていただいたのもあり、自分の中で”五島への移住”という考えが出てきました。

最初は島で世界遺産に携わる仕事があれば…という程度の軽い感じで移住相談を行っていたのですが、しばらくして久賀島にある旧五輪教会堂の教会守の募集が始まるという話を頂きました。大学生時代に勉強してきた分野を活かし、より深めることができる仕事はこれしかないと思い、今の仕事を選びました。東京の移住相談窓口に初めて相談して五島に移住してくるまでに約6か月、周りと比べると相当早い決断だったと思います。

現在は隣の福江島から朝夕のフェリーに乗り、片道1時間半の通勤路を通っています。教会守の仕事内容についてですが、教会堂周辺の管理とご案内が主な業務です。現役の教会堂が構成資産として組み込まれたこともあり、もともとある宗教施設としての秩序を維持のために教会守が配置された経緯があります。

「目に見えないところ」にスポットライトを当てたい。

旧五輪教会堂については今は廃堂となっているものの、長崎キリシタン史を語る上でも貴重な史料であるのと同時に、久賀島の島民にとっても大切な場所です。そのために旧五輪教会堂にも教会守がいると自負しております。訪問客に対しては建築的な価値のみに留まらず、久賀島で起きたキリシタン迫害事件(牢屋の窄殉教事件)や今生きているカトリック信者の方々の話を織り交ぜながら説明することで、歴史的な背景や当時の信徒たちの教会堂に込めた思い入れなど「目に見えないところ」にスポットライトを当てることを常に意識しております。

巡礼ガイドとして細石流地区に観光客を受入れ

教会守という立場から久賀島の活気づくりに貢献したい。

現在、約8割の訪問客がツアー旅行として貸し切りの船で直接目の前の港で乗り降りし、旧五輪教会堂だけを見て他の島へ行ってしまう、といった状況です。予定している旅程もあるので、もっと島の中まで観光していってくれともなかなか言えません。ですので、せめて教会守の説明を聞いて、また久賀島に時間を作って訪れてみたいと思ってくれる人を1人でも多く作ることに今後は励んでいきたいと考えております。最初はノウハウも少なく手探りのような状態で始まりましたが、島民の方々の助けもありまして、もうすぐ丸1年を迎えます。まだまだ未熟なところも自覚していますが、教会守という立場から久賀島の活気づくりに貢献できればと思います。

writer : NPO法人世界遺産長崎チャーチトラスト

旧五輪教会堂教会守 永松翼