New 宮本常一が見ていた五島列島

多くの冒険好きな余所者(よそもの)が活躍した歴史がある

コロナウィルスの影響もあり、以前から買いだめていた宮本常一の著作、「宮本常一」(河出書房新社)と「私の日本地図⑤五島列島」(未来社)を自宅で読んでいます。宮本常一が描く五島列島の民俗学は実に興味深いです。五島列島は古くより交流の中継地点として多くの冒険好きな人たちが外部より集まってきました。余所者(よそもの)活躍の歴史が五島列島にあります。今でいえば大阪府泉佐野市からやってきた海賊が五島家を守るために活躍します。サンゴひきにやってきた土佐人もスギを植林した福岡県人もいます。その中で地域活性化を進めてきた…。もう50年も前の本なのに今でも通用する洞察眼に感服します。この2冊の本に書かれているいくつかを抜き書きします。

旅する民俗学者宮本常一はこんな人

宮本常一(1907~1981)は山口県周防大島に生まれ、人生の多くを旅に費やした「旅する民俗学者」と呼ばれている研究者である。しかし、単なる民俗研究の学者ではなく、全国の農山漁村の現地に赴き、地域振興を進めた実践者でもある。特に自身が島生まれということもあり、離島振興に力を注ぎ、離島振興法の制定に尽力した。45歳(1952年)の時に全国離島振興協議会の設立に加わり、初代事務局長に就任した。日本離島センターは全国離島振興協議会を母体に設立された公益法人である。宮本常一の著書、著作は2500点を超え、その多くがふるさと周防大島町にある宮本常一記念館に所蔵されている。(宮本常一旅する民俗学者、略年譜229ページをもとに作成)

宮本は離島振興に情熱を傾け、そのための法律づくりに奔走した辺境のリーダーであり、各地のすぐれた農業技術、林業技術、漁業技術を精査し、それを全国に伝搬指導して歩いた経世済民のオルガナイザーだった。地域芸能の発掘と育成を通して地域の活性化を図った巷のプロデューサーであり、既成概念にとらわれない手づくりの組織で若者たちに生きがいを与えた比類なき社会教育者でもあった。(参考文献:宮本常一旅する民俗学者、知恵の宝庫の発掘作業10ページ)

いかにもはるかな感じ

鬼岳にのぼったのははれたよい日であった。福江の沖には島が多い。手まえから見て、螺蠑島(さざえじま)、包丁島・竹ノ子島・屋根尾島・多々良島などの無人島があり、その向こうに久賀島・奈留島・若松島・中通島などが重なりあっており、右手に椛島(樺島)・ツブラ島などがうかぶ。みな夕日をあびて、いかにもはるかな感じである。頂上に立つと西の富江湾が一望のうちにはいり、南から東南へかけて、黒島、黄島、大板部・赤島がうかぶ。(参考文献:私の日本列島⑤五島列島190ページ)

ツブテ

これらの石垣に共通した現象がある。その石垣の上に、小さな石がカマボコ型につみあげられていることである。これは外敵の侵入をふせぐものであり、また敵をふせぐとき、これをツブテとして使うためのものであるという。合戦にツブテをつかうことは中世の文献に見える。毛利家文章などを見ると、合戦時の負傷の中に礫疵(つぶてきず)というのがある。(参考文献:私の日本列島⑤五島列島195ページ)

久賀島の石垣にもツブテが積んである。

かなたの大陸を夢みた島

中国は宋の時代ですが、その時分に、宋の船が多数日本にやってくるようになったのです。宋船は朝鮮経由のものもありますが、五島を経由しているのです。そのことが分かるのは、五島の北に小値賀島という島がある。島には古文書が残っていて、読んでみると宋船後家という言葉が載っている。また島には古い大般若教がありますが、教文を書いた人の中に、明国の何某という記載が出てくる。大陸から五島に渡ってきた人たちが住みついているんですね。日本から向こうに出かけていったというよりは、大陸からいろいろな人がやってきた。そういう刺激があって、五島の人たちは海のかなたを意識するようになり、さらに内地の日本人が五島を媒介にして、大陸へ渡ろうというふうになっていった。それでは大陸に向かった人たちは、どこの人であったろうか。大阪を中心にした人たちだったようなんです。玉之浦納(おさみ)なるものが乱を起こし五島家を奪おうとしたことがある。その乱の中で五島家を助けて活躍したのが佐野の漁船。大阪の南に佐野という町がありますが、佐野の漁船はそこの船なんです。この漁師が大変曲者で表面漁師、内実は海賊ではなかったかと思われるのです。(参考文献:宮本常一旅する民俗学者44ページ)

久賀島も中国に渡る中継地点となったと言われている。

いれものがりっぱになったが

五島というところへはずいぶん他所者(よそもの)がずっと古い時代からわたっていた。中国への道すじにあたっていたということもあろう。魚の多かったということもあろう。だが同時に、日本人自身も冒険ずきだったと思うのである。渡航者のすべてがただ単なる利益追求のみを目的としたものではなく、日本楠へ入植した福岡県人がスギの植林を大々的にやって立ち去ったり、富江へサンゴひきにいった土佐人が、自分は失敗しても、土地の人には成功を予言して去ったような事実を無数に見出す。他から来た人々はその知識をこの土地開発のためにおしみなくそそぎこんでいる。それがこの島を発展させ活気あらしめたのだと思う。ところが、2回、3回と島にわたってみるといれものがりっぱになったが中味がまえのように生きいきとしなくなっている。そして島をすてるものも多い。そこを考えてみる必要がある。私はこれをよんで下さる皆さんと、そういうことについて考えあい、話し合ってみたいと思うことが多い。(参考文献:私の日本列島⑤五島列島257ページ/あとがき昭和43年10月宮本常一)

「宮本常一」出版 河出書房新社 価格 1600円(税別)副題 旅する民俗学者 佐野眞一

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「私の日本地図」⑤五島列島 出版 未来社 価格 2400円(税別) 副題  宮本常一

久賀島を中心に抜き書きしましたが、五島列島の宇久島・小値賀島・中通島・若松島・奈留島・久賀島・福江島の記述がたくさんあります。目次は以下の通りです。1 五島への旅/ 2 宇久島/ 3 小値賀島/ 4 小値賀の属島/ 5 魚目海岸/ 6 有川/ 7 友住・頭ケ島/ 8 中野・奈摩・太田/ 9 鯛ノ浦から福江へ/ 10 福江/ 11 福江島をゆく/ 12 富江/ 13 岐宿/ 14 日ノ島・男女群島

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