美しさが悲しみを深め、畏怖して近づけない島 久賀島

五島列島リモートワーク実証実験をキッカケに舞い込んだ久賀島のプロジェクト

2019年5月20日から25日までビジネスインサイダージャパンが企画した五島列島でのリモートワーク実証実験に参加をした。二人の子供を連れて、五島列島の福江島に降り立ち、1週間暮らしてみた。子ども達を現地の小学校と保育園に送り、自分はいつも通りに仕事をする。

その過程の中で感じたことを「東京から1240km離れた五島列島でもリモートワークはできるが、やらない方がいい。-子連れワーケーションの理想と現実ー」というタイトルでブログを書いた。
https://note.mu/backcasting/n/n3b9f623a247a

多くの方がこの記事を読んでくださった。
記事を書いた2週間後、五島列島の有人島の一つである久賀島の魅力発見プロジェクトのリーダーからご連絡をいただいた。

「記事を拝見しました。お願いがあります。尾崎さんの目で久賀島を見て、感じたことを本音で発信してほしい」という依頼だった。
これも何かのご縁だと感じ、承諾した。
実証実験のちょうど3か月後の8月16日~19日。3泊4日で再度私は五島列島に降りた。

久賀島の現状

久賀島は二次離島(本州から福江島まで船か飛行機で入り、さらにそこから船で向かわないとアクセスできない島)で長崎県五島市に浮かぶ人口300人の島だ。昭和30年は4000人近くいた島民は現在、10分の1ほどになった。

久賀島は福江島からはフェリーで30分ほどで着けるアクセスの良さ。旧五輪協会など去年7月に世界遺産認定された集落がある。

お土産屋さんやスーパーはない。
病院が一つあり、そこのドクターの妻が島の見守りと買い物難民を出さないために倉庫を改造し、小さなお店を開いている。

久賀島で感じた「生きている世界遺産」

世界遺産は過去のものだと思っていた。
しかし、久賀島の世界遺産はまだ生きている。

「ここに立って、お母さんたちは自分の子どもが水攻めにされているのを見ていたんです」 キリシタンたちを閉じ込め、拷問した牢屋の跡地でガイドさんにこの場所が世界遺産になった背景を説明され、お墓から海を振り返った。

ここに大きな豪華客船でもあれば。
素敵なカフェが併設されていれば。子ども達の笑い声が聞こえてくれば。
想像を絶する地獄のような出来事を過去のものだと感じることができるのに。

今でもそこから見える景色は海と緑しかなく、聞こえる音は大きなセミの鳴き声と波の音だけ。
100年前と変わらないのかもしれないと思わされる美しい風景に、足がすくむほど当時の様子を妄想できてしまった。
なぜ母親たちは子ども達が拷問にあっていても棄教しなかったんだろうか。
ここで泣き叫ぶ子ども達を見ながらお母さんたちはどんな思いでいたのだろうか。 もし私の子ども達がそんな目にあっていたら

8月の暑さもあってか、クラクラし始めて、思わず座り込んだ。

私は宗教というものを持っていない。
地獄のような状態でも信仰を捨てないことが理解できない。だから怖い。とても怖い。
文字で書かれた「五島崩れ」という弾圧の悲惨さやえぐさを読むだけで吐きそうになる。
そして、その牢に立つと震え始める。

ミサでベールをかぶる信者の姿は美しい。美しいことに怖さを感じたものは初めてだ。
でもカトリックの島民たちは残された教会に足を運ぶ。

一瞬、私は今、どの時代にいるのかが分からなくなった。タイムスリップしたような感覚を久賀島にいる間、ずっと感じていた。

世界遺産登録されても島民が望むことは「変わらないこと」

島民の望みは「変わらないこと」だ。
困っていることはありますか?と聞いても何も困っていないと答える 。

スーパーもコンビニも総合病院もないのに。何も困っていないのだ。

世界遺産になり、人が多く来ても彼らに何もメリットはない。自給自足をしてきた島民たちはビジネスをしていないので関係ない。

彼らの幸せはただ、今と同じ生活を続けていきたいだけなのだ。
島の常識を打ち破るようなイノベーションを起こす事も物も人も島民には必要ない。

魅力発掘のミッションを背負って来た私は立ち止まってしまった。

世界遺産をアピールするだけでは久賀島の魅力を新たに発掘したことにならない。

言葉にならないモヤモヤに名前を付けられぬまま、私は久賀島から福江島のホテルに戻った。
そして苦しかったが、せっかくだからこの機会にちゃんと向き合おうと遠藤周作の「沈黙」を読んだ。高校生ぶりだろうか。あの場所で起こったことをストーリーで読むとさらに言葉にできない苦しさが押し寄せてきた。島に行った後に読んでよかったと思った。沈黙を読んだ状態であの場に立つのは、あまりにリアルすぎて耐えられそうにない。

変わらない自然と信念。その美しさは畏怖を感じるほど

神を信じて人の命を奪うのか、神を裏切って人を助けるのか。と沈黙(遠藤周作)に登場した宣教師たちが葛藤したように、成長を目指して島民の日常を変えるか、成長を捨て幸せに終わりを待つのか?地方創生に関わる私にもこの島が問いを立ててきた。
祝世界遺産登録と限界集落。
矛盾をはらんでいる問題、正解がない問題に一歩踏み込むには信念が必要になる。 「信念」は言葉にすると強く、存在感があるが、本当の信念は日常に溶け込んで自分でもわからないほど自然なものだ。

京都にもう侍はいないし、広島の景色は80年経って街はキレイになっている。しかし、五島には禁教時代の自然があり、まだキリシタンの方々が多く暮らしている。教会に通い、あの日と変わらず日常の中で当たり前に信念を貫き通している人に出会うことができる。

自分の中途半端な信念をもう一度見つめなおすことができる。

普通の観光先では感じられないものがここにはある。
この旅になんという名前を付けよう。

理解できないものに出会う旅
歴史の重さに向き合う旅
2度と行きたくないと思う旅
矛盾と信念を問われる旅
生きた世界遺産を見る旅
笑って写真が撮れない旅
脱インスタの旅
忘れたいのに忘れられなくなる旅。

旅はshare を求める時代からsharpさを求める時代に変わる。
鋭く胸を指すような、強烈で、飲み込めないほど苦く、激しい体験ができる。
それこそが、戦争や弾圧を経験していない私たち世代がこれから旅に出る理由になるのだと感じた。

久賀島は美しい。でも近寄りにくかった。
3泊4日の旅で感じた違和感を言葉にすると「畏怖」だ。

「畏怖」を辞書の言葉としてではなく、五感で感じられたことが今回の旅の一番の収穫だった。

久賀島の空は今日もこんなにも晴れ渡っているのに、

海はこんなにも穏やかなのに、

星はこんなにも輝いているのに、

森はこんなにも豊かなのに、

なぜ心はこんなにも締め付けられるのだろう。
その答えを久賀島で見つけてほしい。

writer:株式会社新閃力 代表 尾崎えり子