久賀島を撮る

1. キリシタン久賀島×牢屋の窄

久賀島の暮らしと同居する一面。
Canon EOS 1D X EF 70-200㎜ F2.8usm / SS:1/800,F8,ISO 200

久賀島を語る上では欠かすことのできないこの場所は、 悲しい過去に満ちている。滞在初日、山にひっそりと佇むその聖堂を対岸から眺めて居た。皮肉にもその場所を 覆う緑の美しさは不変のものだろう。私は、ぬぐえない事実とは裏腹にそこに同居す る自然の輝きにひかれた。しかし、その印象を受けると同時に現実味を帯びた道路や電柱の存在が気になった。どうすればそれらを排除し、見る人をいかに物語に没入さ せれるのか。滞在中、取り組むべき課題のひとつとなった。そして打開策の一つとして「前ボケ効果」を利用することが最良であるという結論に至る。華やかな印象を作り出すには最もオーソドックスな手法と言える為、SNS映えを狙うのであれば真っ先にトライしていただきたい。

過去、現在、未来。自然に囲まれたこの聖堂はきっと変わらずここにある。
Canon EOS 1D X EF 70,200㎜ F2.8 IS II USM / SS:1/ 800,F 2.8,ISO 125

やり方はいたって簡単、狙いたい被写体を決めた後、開放状態のレンズ手前に人工物や草花を前に置くだけ。それだけで幻想的な雰囲気を醸し出せるだけでなく、主要な被写体に導線を引くことができる。他にも効果はあるが私はこれを表現の幅を広げる意味で用いることにした。私は、まず対岸を歩くことから始めた。むやみにファインダーを覗くのではなく、全体の中の一部として切り取ることが自分の画になると踏んでいる。だからこそ自分の中のイメージをある程度明確にしておく必要があった。そんな私のイメージ。それは現在に至るまでのプロセス、その中で垣間見えるあらゆる一面である。痛ましい過去を持つ一面、今尚不変の景色と同居する一面、人間の愚かさとして後世に残る一面など。物語がにじみ出る一瞬を写真にしたい、その思いで最終日まで撮影を続けた。

2. 祈りの風景に出た時から決めていた

毎朝のルーティーンとして目の前の島を狙った。
背後の山に埋もれてしまわないように、朝もやがかかる日を待った。
Canon EOS 1D X SIGMA 12-24mm F5.6 – 6.3 EX DG HSM / SS : 1/200, F5.6, ISO125

久賀島にはエネルギーがある。島に宿る目には見えない力に導かれるように私は、 最終日までシャッターを切り続けた。8月17日福江島からフェリーで約30分の船旅を終えると、すぐに久賀タクシーの方に迎え入れてもらった。そこから半日間、ガイドさんと久賀を回りつつ、私は撮影 イメージを膨らませた。昼食の後、そのまま久賀の交流センターで束の間の休息。その間、センターの方から島にまつわる貴重な話を伺うことができた。その中で「久賀は何もないところが魅力である」という言葉の一節がヒントとなる。久賀の立場に立つことで見えるものがあると信じ、心、目、耳で感じ取れる五感を大切にして撮影に臨んだ。

そんな私は島唯一の民宿に4泊した。宿泊初日、どこか落ち着かずぼんやりと8畳の部屋を眺めていると、一人の少年が部屋に入ってきた。「お風呂へどうぞ」その一言を言い残し、部屋を出ていった。どうやら宿にはルールがあるようで、夕飯の前に風 呂を済ませる必要があるようだ。私はその言葉の通り浴場へ向かい、まだ明るい空を横目にシャワー浴びた。先客のカニが申し訳なさそうに出てきたのはここだけの話。部屋へ戻るとすぐ夕飯が出てきた。一つ一つを味わいながらも、食べきれないほどの量におもてなしの心を垣間見た。夕食を済ませ、滞在前からイメージしていた画を狙うべく宿の外へ出た。辺りには街灯などあるはずもない。無論、漆黒が私を包む。だが、見上げると星の瞬きが眼映った。そして、山の稜線からいつもより温かく明るい月が水面を輝かせた時、その光が私に本物を教えてくれた。

闇は光の存在を教えてくれる。三脚を据え、長時間露光で、こぼれる光を焼き付ける。
Canon EOS 1DX SIGMA 12-24mm F5.6-6.3 EX DG HSM / SS : 30, F4.5, ISO1600

そんな環境の下で、私は久賀島と対峙した。 4日間の滞在のうち、最も印象に残ったのが最終日だった。晴れと雨が交互に訪れる空模様。島の表情も一段と目まぐるしい。押し寄せる雨雲が山の気配を消す。しばらくすると雲の隙間から日差しがこぼれ雨が山から空へ上り雲となる。繰り返される自然の営みを目の当たりにした。そして この日の夕方、不安定な天候が功を奏し2本の虹に出会うことができた。 実は滞在期 間中、唯一の足である自転車がパンクする程のアクシデントに見舞われ、移動手段が タクシーのみとなっていた。当初、自由が利かない欠点が足かせではあったが、タイミングよくこの一瞬に立ち会えたのはこの一件があってこそ。雨降る中、難なく移動できた事に尽きる。余談にはなるが、島に着いた17日、長崎の生んだスター福山雅治 のラジオをタイムフリーで聞いていた。奇しくも、そこで耳にした最初の曲が「虹」だった。今考えれば私が味わう物語の伏線にも思える不思議な出来事と言える。

現地のドライバーさん曰く、ここ数年見ていないとのことだった。
港までの車内、またとない奇跡を痛感した。
Canon EOS 1D X SIGMA 12-24mm F5.6-6.3 EX DG HSM / SS :1/320, F8, ISO 100

東京で暮らす自分にとって、この4日間の出来事は、なんとも新鮮だった。宿のご家族に合わせて過ごす生活。朝日と共に目を覚まし、日が沈む頃には寝床の支度を始める。もはや人間が地球に生かされているようなそのリズムは、多忙を極める現代人に とっては究極の理想とも言えるのかもしれない。また圏外表示で携帯が使えない場面などもあった。しかし、そこに不自由を見出すのではなく、外の自然に目を向けるきっかけや、いま一度当たり前を見つめなおす機を、この島は与えてくれた。そして、何もない場所だからこそ得られるものがある。短い期間のなかで、自分の存在を認知してもない場所だからこそ得られるものがある。短い期間のなかで、自分の存在を認知してくれた番犬がいた。吠えていた初日の姿はどこへやら、距離感がぐっと縮まり、最終日はカメラ目線で視線をくれた。そんな些細なことからも感動を覚えた。きっと、生命の尊さや自然の営みに心打たれるのは、何もない場所が純粋な感動を与えてくれるからではないだろうか。島を離れる日。支度を済ませ、宿の玄関を開けると魚の下処理をする大将と少年の姿が目に入る。いつも光景、ありふれた島の日常。

今日も、明日も、そしてこれからも、島にとって良い日でありますように。

初日では考えられない距離感。
Canon EOS 1D X SIGMA 12-24mm F5.6-6.3 EX DG HSM / SS :1/125, F8, ISO100

3.スナップショット

思い出となるように気軽にシャッターを切った。
記録だけならば iPhoneでも十分事足りる。

iphoneで撮影

writer:カメラマン 三島健太郎