久賀島のこれからの旅

キリシタンクルーズ

『みなさまこんにちは。ようこそ五島へ。
五島ははじめてですか。どちらからお出でいただきましたか。
遠かったでしょう。海外ですから。
今、私たちは、右は五島灘、左は東シナ海に面した五島列島、日本の西側の国境の島々を見ています。
五島列島は南北に140の島々からなっています。・・・・・』
と始まる「キリシタンクルーズ」
今日のお客様は、久賀島のこれから、活性化について考えてくださる方々である。
ガイドにも力が入る。

Uターンは出稼ぎに出た時から決めていた

久賀島は、私を1949年から1962年の13年間を育ててくれたところ。そして2009年兵庫県西宮市から久賀島の本島福江島にUターンして帰ってきました。
Uターンは出稼ぎに出た時から決めていた。
なぜか息苦しい。喉がゼイゼイする。声がかすれる。これらの症状が出た時に、どうしても気になっていることがあった。それは牢屋の窄事件があったことだ。

福江島にも久賀島にも快く迎え入れてもらった。
久賀島は父や母が懸命に生きたころは、山の中腹は、まだ開かれた畑にはサツマイモや麦が植えられていた。農耕用の牛がいた。豚をかんころ棚の下で飼ったこともあった。そして朝夕、子どもたちの声がにぎやかだった。
今、ガイドとして久賀島に行っても人に出会うことは多くはない。畑や田んぼは竹林、雑木林の緑に変化している。
でも声をかけると必ず語らいになる。人の温かさや山の緑、海も空も青く澄み渡る景色は変わっていない。

今は遠く南米や日本各地に暮らす、かつての島民、現在も久賀島で暮している人たちも、この久賀島で、それぞれの人生を紡いできた。その中で、先人たちが、世界遺産をこの地に残した。今、私はその世界遺産を通して、「平和」「自由」について思う時間が持てている。

人は自己実現を計りながら生きているのだとすれば、どこにいるかは自由に選びとるものだと思っている。場所は借り物だ。これからも久賀島が持っている豊かな自然、文化、歴史等の恵みを受けて生きてゆくのだと思う。

あそこに行けば身体も心も元気になるよ

久賀島の私のおすすめは「いろいろな青を見たいとき、いろいろな緑を見たいとき、自由の原風景を観たいとき、原点に帰りたいとき、新鮮な空気、海の幸、山の幸の豊かさが楽しめる」である。
また、私の願いは「あそこに行けば身体も心も元気になるよ。大げさに言えば日本の活力を生み出す島」になってほしい。

writer:長崎巡礼センター認定ガイド 平山和子