台風後の旧五輪教会前の筆者
国土交通省で離島振興の担当をしたのは5-6年前のことでした。その時に、離島甲子園のために五島福江を訪れる機会に恵まれました。8月末で台風の影響が残っており、天気が気になる大会であった記憶があります。多くの離島の若者は15の春に高校進学のために島を離れます。こうした離島の若者がお互いに交流し、島の将来を支える人財に育つことなどを目的に、マサカリ投法で有名な村田兆治氏が提唱して全国離島中学生野球大会、通称離島甲子園は始まりました。
多くの離島では、産業の衰退とともに人口が減少し、限界集落や無人島が増えています。かつての離島への人口流入には、漁業開発、農地開発、石炭などの資源開発、舟運の風待港、交易・交流の拠点、政治的な理由や宗教上の理由での移動など様々な原因がありました。戦後の高度成長期まで続いた日本の人口増加時代には、これらの何らかの理由で、離島に渡り生業を創り出す人がいたわけですが、それが産業構造の急変と人口減少で失われてしまいました。
世界の排他的経済水域順位グラフ
しかし、このまま離島の人口減少が続いて行けば、日本全体の衰退・弱体化に繋がります。日本の国土は狭いですが、排他的経済水域で言えば世界6位の大国です。これまでは海は圧倒的に漁業と海運業の利用でしたが、未来を考えれば、様々な海洋資源やマリンリゾートとして利用される可能性があります。海底のエネルギー・金属資源は勿論ですが、海洋再エネ法の成立後俄に注目を浴びている洋上風力発電は次世代の基幹的なエネルギー源となるかもしれません。こうした未来の可能性を有する排他的経済水域を守っているのは国境離島であり、単に市場原則に任せて大都市への人口集中が進むに任せていて良いわけではありません。
近年、日本が見舞われている地震や津波、環境問題や健康問題、更には今回のコロナウィルスによるパンデミックは我々に東京一極集中のリスクを警告しているとも解釈できるのではないでしょうか。
五島福江崎山地区の甘藷畑
今回、離島振興地方創生協会の仕事で、五島福江を再訪する機会を頂きました。今年4月発足した協会の目的は、マーケットインの視点から離島や地方の農水産品の販促、商品開発支援をすることです。殆どのメンバーは大手食品流通会社の元経営者です。協会では、まず長崎県の国境離島を対象に、農水産物の拡販や商品開発を進めています。離島の農水産物は、生産量の少なさ、生産者の高齢化、物流コスト、マーケットまでの時間距離など多くのハンディキャップを負っています。大手の商流に乗せるには、現状では難しいことが多く、現在の生産水準に会ったマーケットとのマッチングの一方、有望な農水産物の発掘と生産拡大、産地化、ブランド化が必要になります。これは、かなりハードルが高く、時間も掛かる活動と言えましょう。
折紙展望台から曼殊沙華と桜の狂い咲き競演
久賀島の話が最後になってしまいましたが、協会の活動の合間に、地域活性化伝道師仲間である斎藤さんの紹介で、久賀島の黒須ご夫妻をお訪ねしました。五島市を理解するには、福江島を見ただけでは不十分です。久賀島などの二次離島はもっと条件不利であり、そこでの生業の維持や生活基盤の確保は難しいと思われます。半日でお訪ねしたのは黒須さんの診療所、島唯一の売店、旧五輪教会、折紙展望台、交流センター、牛舎など島の東半分でした。
船着き場の顔写真、診療所、青空マーケット
黒須さんご夫妻の活動には感動しました。既に久賀島ライフに何度も登場されているので、重複は避けますが、久賀島に生活する人、訪れる人の拠点となっている印象です。人の生活には、生活必需品の購入、人との絆、いざというときの医療、外部社会との交流と文化、子供たちには教育・遊びが必要です。ご夫妻は、たったお二人でこの大部分を提供していることには吃驚しました。
また、久賀島ライフでも何度も登場している畑田さんなど若い畜産家の話も聞きたかったですが、今回はタイミングが合いませんでした。しかし、立派な牛舎と重機の並ぶ様子には、この島の未来がほのかに見える気がした。協会の活動が、久賀島のような二次離島まで波及して、ここに将来の畜産業、水産業や関連した観光業が発展することに繋がればこれ以上の喜びはありません。
離島振興地方創生協会 理事 舘 逸志